「Chelseaより、こんにちは!」

Londonでの子育てや日々のいろいろ旅行などをつづっていこうと思います。

mum's party@chelsea blue bird

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昨日は、娘とおなじクラスのママ達とのお食事会がありました。

イタリア人のNadaがオーガナイズしてくれて、それぞれの自宅のちょうど真ん中あたりにある素敵なレストランで20時半からスタート。

バーの隣にあるテーブルで、シャンパンやカクテルを飲みながらchatタイム、21時からメニューを見て20分くらいかけて食事を決めて、終わったのは0:00過ぎでした。

いつも学校の送迎で出会うときは、パンツ姿が多いのだけど、昨夜は素敵にドレスアップして、私もどきどきしながら参加しました。

お店は、クラブみたいな音楽が流れていて、バーカウンター付近では踊っている人もいて、でもデコレーションは天使やバレエシューズが雲の中に浮いているようにふわふわと飾ってあって、たくさんの植物に溢れていて、ロマンティックな可愛さや自然との融合、エレガントだけどどこかカジュアルな雰囲気もあってとっても居心地の良いおしゃれなリビングルームといった感じの大人のクラブという感じでした。そこに遊びに来ている女性たちは、肩だしのドレスとか、ありえないくらいスタイルがいい人とか、みんななんか堂々と生きている、オーラの大きい人が多くて、人生楽しんでいるなというのが伝わってきました。

 

ロンドンで出会うイギリス人ってあんまり社交的じゃないというか、フレンドリーじゃない人が多いのだけど、インターナショナルスクールにいる外国人のお母さんたちは、いろんな人と出会えるロンドンをとても楽しんでいるなと思います。

昨日は、本当にいろんな話題をお話したな。クリスマスに担任の先生にあげるギフトのこと、学校対決サッカーの試合、次のタームのスポーツクラブのこと、クッキングクラブ、先生たちのこと、どのくらいロンドンに住んでいるのとか少し個人的なこととか、ホリデーはどうするの、香港は今どうなってるの、ロシア料理ってどんなの、おすすめのレストランはlondonにある?初めての外国生活はどこ?日本食レストランでロンドンのおすすめは?メーガンマークルはどうよ、とか子供たちの話とか本当にアッという間に4時間が過ぎていました。

イタリア人とギリシャ人が陽気で、おしゃべりがとても上手で、たくさんみんなに話題を投げかけていて、驚きの社交術だなと感動しました。私にも日本のこととか、londonの印象とかを聞いてくれて、私にも開かれた話題がちょうどよい感じで巡ってきていました。こんなに素敵に場を盛り上げられるNadaは本当に人と人をつなぐ素敵な人だなと思いました。

最後にデザートを選ぶとき、「kyokoにはこれがいいんじゃない?このお店はじめてでしょう?これにしなよ面白いから」って、強制的にデザートを選んでくれました。

カレーのようなスパイスの効いた円筒形のクッキー生地に、クリームチーズアイスが詰まっていて、タルト生地の上にその筒とキャラメルソフトのアイスクリームと、ホワイトチョコが飾ってあるという、なかなかスパイシーな本当においしいのかおいしくないのかよくわからない。そういったおもしろいデザートでした。となりのロシア人のママは、ほとんど食べずに残していたけど、私はおいしいかおいしくないかわからないけどほとんど全部食べていた。なんかこういう、強制的な新しい冒険をさせてくれる強いおすすめって、素敵と思いました。相手の冒険のドア、未知との遭遇を強制的に与えるって、日本人はあまりしない選択じゃないですか?日本人だったら、守りに入ったメニューをお勧めしてしまうと思うんです。こういうおすすめの仕方、スパイシーでいいなって私は思ったのです。


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この守りで固めない、というのは、人生を思う存分味わい新しい経験を得るためには必要な姿勢だと思います。

この日の午後、男女混合サッカーチームの対抗試合があったのだけど、男の子達のボールに向かうそのスピードととっさの判断力と攻めの姿勢が、(もちろん訓練もあるけれど)遺伝子に組み込まれたものであるように感じられました。うちの子(娘)は、ボールが目の前に来ても迷いがある。ゴールの守りは強くて試合が終わったあと他のお母さんお父さんたちから褒められたのだけど...。

(金曜日午後1:45〜の試合にたくさんのお父さんも見にきていて、やっぱり日本とは違うなと思います。)

 

自分をプレイヤーとして自分主体で状況を認識している子と、空気を読みながら延長しながらの状況認識なのかの違いが、今日はいろんな場面で感じることが出来ました。

 

私はどちらかというと新奇性を好む性格で自分の目的に集中して取り組むタイプ、夫は相手基準でサポートに回るタイプ。


今日のサッカーの試合では夫に似た娘のサッカーの試合の様子(自分が主体ではなく、環境の一部になってしまう)が本当にもどかしかった。ボールに突き進めばいいというわけではないけれど、男子がボールをパスしてくれないから暇といって、もう一人の女の子と試合中にじゃれあってしまう。この女子の動きが、男性社会では理解されないし信頼されないものの象徴のように見えてしまいました。

この男の子たちのアグレッシブさ、とっさの反応や判断、下手でも一歩前に出る姿勢、訓練によるところも多いと思うけれど、遺伝子や性別による違いも結果を左右すると思いました。とっさだからほとんど条件反射なんですよね、頭で考えているわけではなくて、上手な子は経験を積むことによって考えるよりも早く体が動いていく。それに訓練していない子は全くついていけない。

今日は子供たちの動きの違いを見て、この一瞬一瞬の判断の積み重ねが人生を作り上げていると再認識しました。


娘を見て思ったのは、もう少し空気を読まず、我慢しすぎず、思ったことを言ってもいいし、思ったことを瞬発力を使って表現したり動いたりしてもいいんだよってこと。

もっと自分の直感や思いに注目して大事にしてあげてもいいんじゃないか。

もし日本が住みずらいと思うのだったら、どんどん外の世界を見に行ってもいいのではないかなと思いました。

 

一つ言えるのは、日本では人間が委縮してルールやその場の空気に自分を合わせる(そうでないと村八分が起こる)、こちらは人間がより人間らしくいられるための最低限のルールという感じで、窮屈さがない。それだけ人間の尊厳が大事にされている。それだけは、日本に40年生きてきた私が声を大にして言うことが出来ることです。

 

日本人のポテンシャルは本当に高いのだから、もっと自分たちで自分たちを縛らず、その可能性や創意工夫・創造力ひっくるめた才能を世界で発揮してほしいと強く思います。