「Chelseaより、こんにちは!」

Londonでの子育てや日々のいろいろ旅行などをつづっていこうと思います。

娘の学校でサッカーの学校対抗試合がありました。

午後、フライデークラブでスポーツを選択している子たちが選手となって、他の学校の生徒と試合をするイベントがありました。

チームは男女混合で、娘のチームには女の子が二人。同じチームの男の子たちのボールに向かうそのスピードととっさの判断力と攻めの姿勢が、(もちろん訓練もあるけれど)遺伝子に組み込まれたものであるように感じられました。うちの子(娘)は、ボールが目の前に来ても迷ってけりにいかない。男の子たちのスピードが速くてついていけないのかもしれないけれど、ボールが目の前に来ても一歩踏み出さないのですね、男の子は下手でもボールにしがみついているのに。

 

(だけどうちの娘ゴールの守りは強くて、試合が終わったあと他のお母さんお父さんたちから褒められたのだけど...。金曜日午後1:45〜の試合にたくさんのお父さんも見にきていて、やっぱり日本とは違うなと思います。)

 

自分主体で試合を認識している子、

空気を読みながら遠慮しながら試合にオブザーバーのように存在している子、

サッカーの試合を見ながらいろんなことを感じました。

 

私はどちらかというと新奇性を好む性格で自分の目的に集中して取り組むタイプ、

夫は相手基準でサポートに回るタイプ。

 

今日のサッカーの試合で、夫に似た娘のサッカーの様子(自分が主体ではなく、環境の一部になってしまう)が本当にもどかしかった。ボールに突き進めばいいというわけではないけれど、男子がボールをパスしてくれないから暇といって、もう一人の女の子と試合中にじゃれあってしまう。この女子の動きが、男性社会では理解されないし信頼されないものの象徴のように見えてしまいました。

 

この男の子たちのアグレッシブさ、とっさの反応や判断、下手でも一歩前に出る姿勢、訓練によるところも多いと思うけれど、遺伝子や性別による違いも結果を大きく左右すると思いました。とっさだからほとんど条件反射なんですよね、頭で考えているわけではなくて、上手な子は経験を積むことによって考えるよりも早く体が動いていく。それに訓練していない子は全くついていけない。

6歳7歳と雖も、もう体のつくりが女子と男子では異なっていて、男子は膝から血が出ていようと立ち上がり、ぶつかり横転(たまに回転)しながら、ボールに駆け寄っていきます。こういう中で、訓練していない女児が、ボールを追いかけることは、身体的にもリスクが高いのかもしれないということを同時に思いました。

すでに6歳で、此の男女の差が明らかになってしまうのだなと。日本の幼稚園にいたときは、追いかけっこ駆け足、なんでも女児のほうがよくできていたのに、こちらは違うのです。

 

今日は子供たちの動きの違いを見て、アグレッシブなのか遠慮がちなのか、この一瞬一瞬の判断の積み重ねが人生を作り上げていると再認識しました。

 

うちの娘はも旦那さんもとても日本人らしい思いやりや気配り相手のへの配慮という考え方が強い傾向があります。

自分が主体ではない。

 

でも、もっと自分の直感や思いに注目してもいいんじゃないかな。

どうして大事な場面で、相手に譲ってしまうのかなと。

私には、今日のボールを追いかける男子のほうに意識がシンクロしていた。

 

一つ言えるのは、日本では人間が委縮してルールやその場の空気に自分を合わせる(そうでないと村八分が起こる)、こちらは人間がより人間らしくいられるための最低限のルールという感じで、窮屈さがない。それだけ人間の尊厳が大事にされている。それだけは、日本に40年生きてきた私が声を大にして言うことが出来ることです。

 

日本人のポテンシャルは本当に高いのだから、もっと自分たちで自分たちを縛らず、その可能性や創意工夫・創造力ひっくるめた才能を世界で発揮してほしいと強く思います。